ホーム >> 弓矢の製作過程
弓矢はその歴史をたどっていくと、氷河期までさかのぼることができます。
温暖の時代には大きな獲物のすぐ近くまで近寄って、やりで仕留めることができましたが、氷河期になると、大きな動物がいなくなり、遠くから小さな獲物をしとめるために考案されたのが、弓矢であり、おそらく人間が考案した最初の機具だとおもわれます。
弥生式時代になると社会が形成され、その社会を維持したり外敵から守るために、弓矢が武器として使用されるようになりました。
その頃から弓矢は急速に進歩し、奈良時代には、今とほとんど変わらない竹弓、竹矢が完成されました。
岡崎の矢作神社には、日本武尊が奉られています。日本武尊は矢作川で対岸の賊を討伐するために、一晩で一万本の矢を作ったと伝えられています。その頃からすでに、弓矢の高性能大量生産方式が出来あがっていたとおもわれます。
現在でも竹製の弓矢は、その時代とほとんど変わらない工程で作られています。
竹は「矢竹」という名称の竹で、節が低く枝が少なく節のところでくの字に曲がっていない特徴を持っていて、矢にするには最適の性質をもっている。11月から1月までに山から切り出し、はかまを取り、梅雨に入るまで天日で干して真っ白になるまで乾燥させて取り込み、節の下15cmを残して長さ1メートル10cmに切り揃え、節、太さ、重さを揃えて束にして、乾燥した部屋で保管しておく。
節、重さ、太さで選別された竹を、「釜」(火鉢のような器に炭火を入れて、トンネル状の両端に穴の開いた蓋をかぶせたもの)の中に数回通して、竹を熱して柔らかくして、「矯め木」(ためぎ)と称する道具使って手前から先へ竹の曲がなくなるまでしごく。
出来上がりを考慮にいれて、4本一組になるように材料を選び、太さ、めかた、張り具合を看(み)ながら小刀で削っていく。削りかたが悪いと、真ん中でへたってしまったり片側が弱かったりして矢にならない。削ってしまってからではどうにもならないので、削っている最中に小刀に伝わってくる感触で削り加減を知るしか方法はない。
削り上げた竹を再度釜に通して、色づく程度に焼きながら入念に矯め(ため)して真っ直ぐにする。竹が冷めてしまうと、とても固くなって真っ直ぐにならない。再度火にかけて無理に伸ばしてもすぐに元に戻ってしまう。非常に難しい。削って火を通して矢として使用出来る状態になった矢竹を箆(の)と呼ぶ。
中火を終えた箆(の)を二本溝のついた石二個にはさみ、水と砂をつけて上から下へ摩り下ろす小刀の削りめが取れるまで何回も繰り返す。箆(の)の上下を変えて同じことを繰り返す。
竹洗いして乾燥した箆を四度火を通して、焼きむらを直してしっかり矯めをとる。
水に浸したトクサで研きさらに半乾きのトクサで艶が出るまで研く。
出来上がった箆に、重心が揃うように鉄粉を混ぜた松脂を焼け火箸で箆の端に入れ込む。
注文にしたがって適当な長さに切り揃える。
羽(鷲羽鷹羽七面鳥など)右左6枚ずつを用意して羽軸を境に2枚に割り、決められた長さに切り揃え、羽を2枚の板に挟んで軸を焼きごてで焼いて、箆に接着出来るばかりにこしらえる。
3枚の羽を用意して、箆に印をつけた所に3等分に接着する。
筈、羽の両端に糸を巻き塗料で固める。
湯気で縮れた羽を伸ばし一定の形に切り揃える。
箆を火にかけて最後の矯めし(置き矯め)をして完成品となる。